人を動かす技術~まっとうなリーダーシップとは:コミュニケーションをうまく使って~


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薬剤師目線:リーダーシップについて

さまざまな技術が生まれる中、

必要とされている技術。

それ自体は実際のところ、古くからあまり変わっていないのかもしれません。

今回は、

「独裁者たちの人を動かす技術」という書籍からリーダシップについて考えてみます。

ヒトラーや織田信長。

独裁者とも言われた彼らが、どのように人を動かしてきたのか。

その技術について記載されています。

独裁者

独裁者

この言葉から、どのような印象を受けるでしょうか。

民衆を虐げ、敵対するものがいれ ば躊躇なく排除し、恐怖で人々を支配する

そんな冷血で残虐な人間を思い浮かべるかもしれません。

この「独裁者たちの人を動かす技術」の著者によると、

独裁者たちは人々を自発的に動かすために

まっとうなリーダーシップ

を発揮していたといいます。

独裁者たちは民衆や臣下から熱烈な支持を集めるだけでなく、誤った方向へ舵を切っているときですら誰にも止められないほどの推進力を生み出す。

彼らがいかにして生まれ、支持を得ていたのかをこの書籍では、古今東西の独裁者たちの言動を詳述。

そこから彼らの「人を動かす技術」を解説しています。

もちろん、独裁者たちの行った虐殺や暴力支配を肯定することはできません。

しかし、自分の思うように事を運ぶために彼らが採った緻密な戦略の数々は驚愕そのものです。

人を従わせるために必要なのは恐怖だけではない。

独裁者たちが実現してきた熱狂の裏には、たゆまぬ努力がありました。

今の時代でも通用する技術として、
リーダーシ ップを発揮したいビジネスパーソンに良いヒントになると思います。

書籍の要点

  1. 独裁者たちは、恐怖で民衆を支配するだけではなく、頼りがいのあるリーダーを演出し、大衆の支持を得られるように戦略的に動いていた。
  2. 配下の承認欲求を満たすには、優秀な人材を集めて気に入ったものを抜擢し、自分にもチャンスがあると思わせて全体の士気を高めること、ポジションを与えることができないものに対しても別の報酬を与えることが有効。
  3. 人の心を動かすために、独裁者たちは自分の見た目にこだわっていた。とくに重要なのは、ハツラツとした若々しさで。

心をつかむ技術

弱者に寄り添う独裁者は、必ずしも弱者の敵だというわけではありません。
多くの独裁者が“弱者救済”のための政策に取り組んでいます。

ヒトラー

アドルフ・ヒトラーが政権を握ったとき、ドイツの失業率は40%に達していました。
しかしヒトラー が抜本的な対策を講じた結果、わずか4年でほぼ完全雇用を達成することになります。
これは、今の世の中でも画期的な数字です。

特にドイツはそのころ、第一次世界大戦に敗北し、多額の賠償金を払わざるをえない背景がありました。

そんな状況下、ドイツ国民はますます熱狂的にヒトラーを支持するようになっていったのです。

織田信長

日本の独裁者、織田信長。

彼は、周りの人間を信用していませんでした。

小難しく述べるよりも、わかりやすいフレーズをひたすら繰り返すことが重要だと冷酷に分析していたのです。
老若男女に思いを伝え、彼ら彼女らから支持されるためには、要点を絞り、短くわかりやすいフ レーズを何度も繰り返す必要がある。

実際ワンフレーズの力は、マネジメントにおいても注目を集めています。

その一つがアメリカのスポーツ界で生まれた「ペップトーク」です。

ペップトーク

これは、監督などが試合前の選手たちを鼓舞するために行う短いスピーチのこと。

選手たちの士気が格段に上がることが報告されています。

ビジネスの現場でも、上司が部下のモチベーションを上げるためにペップトークを実践するようになっているとも言われています。

私も球技を昔やっていた経験もあり、ペップトークを今思えば経験していました。
まさか、それにこんな効果があったとは。

奮い立たせる技術

独裁者たちが自らの野望を実現するためには、人の心をつかむだけでは足りません。

配下には、野望の実現のためにバリバリ働いてもらわねばならないからです。

そのために必要なのは、彼らを奮い立たせること。

人材育成に心を砕いたのが、織田信長です。

有名な話ではありますが、農民の出身でありながらも政治工作の才があるとして、豊臣秀吉を重用しました。
才能を認められた秀吉は、信長の期待に応えるかのごとく、主君亡き後に天下人となりました。

信長は、人種すら気に留めなかったといわれています。

信長の家臣であった「弥助」は、

アフリカのモザンビーク出身でした。

出自よりも能力を重視する彼の様子を見た臣下たちは、「自分にもチャンスがある」と奮起したに違いありません。

抜擢

人材を登用したら、彼らのモチベーションを維持し、長く働いてもらわねばならない。
そのため に効果的だったのが、

抜擢です。

それぞれにふさわしいポジションを与えることでモチベーシ ョンを上げ、支配していたといえます。

功績を称える 抜擢は効果的ですが、実際問題すべての人間を出世させることはできません。
かといって、人材を大切にしていないと、サボタージュされてしまう可能性もあります。

そこで重要になるのが、功績を称えることです。

誰かを高く評価していることが周りの人間にも伝わるようすることも重要です。

織田信長もまた、優秀な配下に褒美を与えていました。

彼が贈っていたのは、茶器である。
これも有名な話かもしれませんね。

茶器の価値を浸透させるために茶会を開いたり、許可なく茶会を開くことを禁じたりもしました。

その結果、配下たちは、茶器を得るために活躍しようとしたのです。

信長がしていたことは、現代で言う「承認」ではないでしょうか。

独裁者たちは、ただ見返りを与えるだけではなくあらゆる手段で配下を「承認」し、彼らのモチベーションを上げていたのです。

自分を魅せる技術

見た目にこだわるヒトラーは、演説によって民衆の支持を獲得していった。

その演説の中には、労働者や中産階級、 愛国者、インテリといったあらゆる人の心に響く内容が含まれていたといわれています。

そんなヒトラーが演説の内容以上にこだわったのが、演説をしている自分の見た目です。

無名の頃から鏡に向かって演技の練習をしていたほど。
さらに、友人のカメラマンに依頼し、演説中の自分の姿を様々な角度から撮影させてもいたようです。

身振り手振りを研究し、民衆にとって頼もしく見えるように工夫を重ねていたのではないでしょうか。

彼はまた、自分の好感度に関わる要素として、自分を護衛する私設警護部隊の見た目にもこだわったといわれています。

外見と身長の基準を設け、その基準をクリアした者だけをそばにおいていました。

ギャップを見せる

話し方や見た目で自分のイメージを確立しても、大衆はやがてそれに慣れてしまいます。

彼らに刺激を与え、自分の人間性に深みを持たせるために効果的なのは、意外な一面を見せること。
そうすれば、自分のイメージを壊すことができる。

ヒトラーはある村に立ち寄った際、ある少女と知り合いました。
その日は少女の誕生日でした。

するとヒトラーは、自ら車を運転して他の村に行き、オモチャやケーキなどを買い込んできたといいます。

そのほかにも、秘書にプレゼントを欠かさなかったり、側近に気を遣ったりと、独裁者としての彼からは想像できないほどの優しさを見せていました。

人はギャップを見せられると、そちらが本質だと思い込んでしまうもの。

独裁者としてのイメ ージが強いぶん、こうした意外性が大きな効果を発揮していたのではないでしょうか。

若々しさを保つ

政治の世界においては、若々しさが功を奏すことがあります。

第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディは、1960 年の大統領選でリチャード・ニク ソンに勝利しました。

テレビ討論会で見せた若々しさが勝利の決め手だったと言われています。

ケネディは、テレビ用のメイクアップをほどこしてテレビ討論会に臨みました。

一方のニクソンは病み上がりで、顔色が悪かったにもかかわらず、メイクアップの申し出を断ったようです。
ニクソンがメイクアップを断ったのは、内容の方が重要だと考えていたからかもしれません。

実際、ラジ オで討論を聞いていた聴衆たちは「ニクソンが勝った」と思ったほど、討論ではニクソンのほうが優 れていたようです。

しかし蓋を開けてみると、勝利したのはケネディでした。

映像を観た視聴者にとっては、若々しくハツラツとしてケネディのほうが大統領にふさわしく見えたのではないでしょうか。
実力よりも見た目が勝敗を分けたという結果に。

人を操る技術

厳しい姿勢を見せる独裁者たちは、ここぞというタイミングでは強硬手段も辞しません。

人を従わせるために恐怖を利用することもありました。

スターリン

ソ連のヨセフ・スターリンは、集団農業体制により、農村から穀物を調達しようとしていました。
しかし農民たちが反発し、調達が思うように進みません。

スターリンは様々な緩和政策を講じたが、事態は好転しませんでした。

そこでスターリンは、食糧を盗んだ者は容赦なく投獄もしくは銃殺刑に処することにしたといわれています。

ルーマニアのヴラド・ツェペシュは、もっと厳しかったようです。
窃盗や虚言が露呈するとすぐさま死刑としました。

盗人を鍋で煮て殺し、仲間たちに食べさせるという刑に処すこともあったようです。

この厳しさは、対象が部下であっても同じように発揮されました。

命令を遂行できない部下は串刺しの刑にされてしまったそうです。
浮気をした人妻やみだらな振る舞いをした女性も、同じく串刺しの刑でした。

その甲斐あってか、ワルキア国の治安は好転したといわれています。

織田信長

織田信長もまた、冷酷な判断を下すことがありました。

彼は父の代からの忠臣である佐久間信盛を本願寺攻めの最高責任者に選びましたが、5年にわたって戦線が停滞すると、信盛を高野山へ追放してしまいます。

長らく仕えた重臣であっても追放されるという事実は、他の者の気を引き締めさせるのに十分でした。

裏切りを許す

罰を科すこと

裏切りを許すこと。

これらは矛盾するように見えるかもしれません。

しかし実際には、独裁者たちの統治にとってアクセルとブレーキのような役割を果たしています。

魏王・曹操は、「徐州大虐殺」を行ったことで知られています。

これは、徐州に逃れていた父が殺されたことをきっかけに怒りを爆発させ、徐州へ兵を向けて暴虐の限りを尽くしたというものです。

そんな彼は、意外にも裏切りに寛容な面を見せてもいます。

最大のライバルである袁紹を撃破したとき、曹操の軍勢は相手方の10分の1程度でした。

曹操の敗北を予想した人が大半であったが、袁紹軍の兵糧庫への奇襲作戦が功を奏し、曹操軍が奇跡的な勝利を遂げたのです。

これに驚いたのは曹操の家臣たち。
彼らは曹操が敗れるものと思い、袁紹に書状を送っていました。

袁紹軍本拠地が陥落すれば、書状も発見されてしまう。
裏切った臣下たちは処刑を覚悟していたことでしょう。

しかし曹操は、意外にも裏切りを許しました。

私でさえ勝てると思っていなかったのだから仕方がない」と言い、

臣下たちの手紙を焼いてしまったといわれています。

怒りに任せて処罰する一面と、処罰を覚悟する人間を許す一面。

自分が生殺与奪の権利を握って いることを臣下に理解させ、アメとムチを使って忠誠を誓わせるという戦略だったのではないでしょうか。

相手を油断させる

新聞記者は、予告なく早朝や深夜に訪問し、相手の不意を突くことがあります。

独裁者も同じように相手が油断しているときを狙い、相手を思い通りに操るのだとか。

キューバの独裁者、フィディル・カストロは、早朝4時に会議を開くようにしていました。

相手を不利な状況に追い込むため、人間の思考が働きにくい時間帯を意識していだといわれています。

参加者たちは、 何が何かもわからないうちに、カストロに丸め込まれてしまうという。

ヒトラーも同じような戦略を取っていました。

彼が好んだのは、夕方の演説です。

人は夕方になると徐々に思考力が落ちていく。

「夕方になれば、他人の支配的な力にも従順になりやすい」

という理由で夕方を選んでいたようです。

独裁者たちは、いつも力を使って屈服させているわけではなく、相手をうまく操るための工夫を重ねていたのです。

まとめ

この書籍では、独裁者たちが用いた22の手法が詳述されています。

その手法は決して目新しいものばかりではありません。
しかし単純な手法であっても、徹底することは存外難しいものです。

独裁者たちは そのような努力を怠らなかったからこそ、歴史に名を残したのかもしれません。

独裁者としての彼らの所業は、多くの人を傷つけました。
しかしそれが可能だったのは、彼らを支持する人たちがいたからです。

彼らの手法と不断の努力には、現代のビジネスパーソンにも学ぶところがあるのかもしれません。

今回紹介した書籍はこちらです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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ABOUTこの記事をかいた人

薬学部卒業後、そのまま大学院へ。 医療薬学を学び、患者さんのために最新の医療を実践するために病院薬剤師へ。 薬剤師で医学博士。 ここでは患者さんからの質問を調べつつ、役立つ情報を発信していければと思います。 専門は感染制御や救急、小児。お問い合わせもお気軽にどうぞ!!