薬剤師目線:リーダーシップについて
さまざまな技術が生まれる中、
必要とされている技術。
それ自体は実際のところ、古くからあまり変わっていないのかもしれません。
今回は、
「独裁者たちの人を動かす技術」という書籍からリーダシップについて考えてみます。
ヒトラーや織田信長。
独裁者とも言われた彼らが、どのように人を動かしてきたのか。
その技術について記載されています。
独裁者
独裁者
この言葉から、どのような印象を受けるでしょうか。
そんな冷血で残虐な人間を思い浮かべるかもしれません。
この「独裁者たちの人を動かす技術」の著者によると、
まっとうなリーダーシップ
を発揮していたといいます。
独裁者たちは民衆や臣下から熱烈な支持を集めるだけでなく、
そこから彼らの「
もちろん、
人を従わせるために必要なのは恐怖だけではない。
独裁者たちが実現してきた熱狂の裏には、たゆまぬ努力がありました。
今の時代でも通用する技術として、
リーダーシ ップを発揮したいビジネスパーソンに良いヒントになると思います。
書籍の要点
- 独裁者たちは、恐怖で民衆を支配するだけではなく、頼りがいのあるリーダーを演出し、大衆の支持を得られるように戦略的に動いていた。
- 配下の承認欲求を満たすには、
優秀な人材を集めて気に入ったものを抜擢し、自分にもチャンスがあると思わせて全体の士気を高めること、 ポジションを与えることができないものに対しても別の報酬を与えることが有効。 - 人の心を動かすために、
独裁者たちは自分の見た目にこだわっていた。とくに重要なのは、 ハツラツとした若々しさで。
心をつかむ技術
弱者に寄り添う独裁者は、必ずしも弱者の敵だというわけではありません。
ヒトラー
アドルフ・ヒトラーが政権を握ったとき、ドイツの失業率は40%に達していました。
しかしヒトラー が抜本的な対策を講じた結果、わずか4年でほぼ完全雇用を達成することになります。
これは、今の世の中でも画期的な数字です。
特にドイツはそのころ、第一次世界大戦に敗北し、
そんな状況下、ドイツ国民はますます熱狂的にヒトラーを支持するようになっていったのです。
織田信長
日本の独裁者、織田信長。
彼は、周りの人間を信用していませんでした。
小難しく述べるよりも、
老若男女に思いを伝え、彼ら彼女らから支持されるためには、
実際ワンフレーズの力は、マネジメントにおいても注目を集めています。
ペップトーク
これは、
選手たちの士気が格段に上がることが報告されています。
ビジネスの現場でも、上司が部下のモチベーションを上げるためにペップトークを実践するように
私も球技を昔やっていた経験もあり、ペップトークを今思えば経験していました。
まさか、それにこんな効果があったとは。
奮い立たせる技術
独裁者たちが自らの野望を実現するためには、
配下には、野望の実現のためにバリバリ働いてもらわねばならないからです。
人材育成に心を砕いたのが、織田信長です。
才能を認められた秀吉は、
信長は、人種すら気に留めなかったといわれています。
信長の家臣であった「弥助」
アフリカのモザンビーク出身でした。
抜擢
人材を登用したら、彼らのモチベーションを維持し、
そのため に効果的だったのが、
抜擢です。
功績を称える 抜擢は効果的ですが、実際問題すべての人間を出世させることはできません。
誰かを高く評価していることが周りの人間にも伝わるようすることも重要です。
織田信長もまた、優秀な配下に褒美を与えていました。
これも有名な話かもしれませんね。
茶器の価値を浸透させるために茶会を開いたり、
その結果、配下たちは、茶器を得るために活躍しようとしたのです。
信長がしていたことは、現代で言う「承認」ではないでしょうか。
自分を魅せる技術
見た目にこだわるヒトラーは、演説によって民衆の支持を獲得していった。
そんなヒトラーが演説の内容以上にこだわったのが、
無名の頃から鏡に向かって演技の練習をしていたほど。
さらに、
彼はまた、自分の好感度に関わる要素として、
外見と身長の基準を設け、
ギャップを見せる
話し方や見た目で自分のイメージを確立しても、
彼らに刺激を与え、自分の人間性に深みを持たせるために効果的なのは、
そうすれば、自分のイメージを壊すことができる。
ヒトラーはある村に立ち寄った際、ある少女と知り合いました。
するとヒトラーは、自ら車を運転して他の村に行き、
そのほかにも、秘書にプレゼントを欠かさなかったり、
人はギャップを見せられると、
独裁者としてのイメ ージが強いぶん、
若々しさを保つ
政治の世界においては、若々しさが功を奏すことがあります。
第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディは、1960 年の大統領選でリチャード・ニク ソンに勝利しました。
ケネディは、
ニクソンがメイクアップを断ったのは、
実際、ラジ オで討論を聞いていた聴衆たちは「ニクソンが勝った」
しかし蓋を開けてみると、勝利したのはケネディでした。
実力よりも見た目が勝敗を分けたという結果に。
人を操る技術
厳しい姿勢を見せる独裁者たちは、ここぞというタイミングでは強硬手段も辞しません。
スターリン
ソ連のヨセフ・スターリンは、集団農業体制により、
しかし農民たちが反発し、調達が思うように進みません。
そこでスターリンは、
ルーマニアのヴラド・ツェペシュは、もっと厳しかったようです。
盗人を鍋で煮て殺し、
この厳しさは、対象が部下であっても同じように発揮されました。
その甲斐あってか、ワルキア国の治安は好転したといわれています。
織田信長
織田信長もまた、冷酷な判断を下すことがありました。
長らく仕えた重臣であっても追放されるという事実は、
裏切りを許す
罰を科すこと
と
裏切りを許すこと。
しかし実際には、
魏王・曹操は、「徐州大虐殺」を行ったことで知られています。
そんな彼は、意外にも裏切りに寛容な面を見せてもいます。
最大のライバルである袁紹を撃破したとき、曹操の軍勢は相手方の10分の1程度でした。
曹操の敗北を予想した人が大半であったが、
これに驚いたのは曹操の家臣たち。
袁紹軍本拠地が陥落すれば、書状も発見されてしまう。
しかし曹操は、意外にも裏切りを許しました。
「
臣下たちの手紙を焼いてしまったといわれています。
怒りに任せて処罰する一面と、処罰を覚悟する人間を許す一面。
相手を油断させる
新聞記者は、予告なく早朝や深夜に訪問し、
独裁者も同じように相手が油断しているときを狙い、
キューバの独裁者、フィディル・カストロは、早朝4時に会議を開くようにしていました。
相手を不利な状況に追い込むため、
ヒトラーも同じような戦略を取っていました。
彼が好んだのは、
人は夕方になると徐々に思考力が落ちていく。
「夕方になれば、
という理由で夕方を選んでいたようです。
独裁者たちは、いつも力を使って屈服させているわけではなく、相手をうまく操るための工夫を重ねていたのです。
まとめ
この書籍では、独裁者たちが用いた22の手法が詳述されています。
その手法は決して目新しいものばかりではありません。
しかし単純な手法であっても、
独裁者たちは そのような努力を怠らなかったからこそ、
独裁者としての彼らの所業は、多くの人を傷つけました。
彼らの手法と不断の努力には、
今回紹介した書籍はこちらです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。